Tokyo, 1990 Gotokuji Station, Tokyo, Japan 日本 東京 小田急線 豪徳寺駅 Photography by Michitaka Kurata
Tokyo, 1990 Gotokuji Station, Tokyo, Japan 日本 東京 小田急線 豪徳寺駅 Photography by Michitaka Kurata
awairo :
220514 バイトが30分早く終わって、映画を観に渋谷へ向かった。きっと早上がりできるから、そうしたら観にいこうと思って事前に時間を調べていた。視覚情報を処理したりそこから刺激を受け取ったりすることはあまり得意ではない(と最近わかってきた)し、暗闇に座っているとたいてい眠くなる。もれなく定点から人物の動作を観察するように映す画面にうつらうつらしてしまった。せっかく映画館に来て意識を飛ばしてしまうのはもったいないし、自分の欠陥だと責めるように思ってきたけれど、こうやって微睡みながら観たっていいのだ。これまで画面に集中していたところを吸い込まれるように意識を失って、ふと気づいた時に現れる映像の断片が、いくつも頭の中に残っている。だから自信を持って言うのだけれど、アケルマンの『私、君、彼、彼女』とってもよかった。
220515 シャッフルで音楽を流していたら、思いがけずここ数年の記憶が引きづられて出てきた。そのままひとりで街に出掛けた。食べたかったヴィーガンのお店でピザとクッキーアイスサンドを買って、アイスが溶ける前にと早足で公園を目指し、正方形のベンチで食べた。甘い甘いチューイーなクッキーアイスサンドを食べて、今朝引きづられた思い出を思い起こしていた。ほとんどが苦味のするものだった。苦くて消してしまいたいと思ってきた記憶が今日は滋味深くさえ感じられた。Kとのこと、来年からの新しい土地での生活についてばかり考えて、満足しながら単純化させていることに薄々気がついて、そのせいで怖くなっていた。Kと出会ってほんとうの願いへ向かって歩めるようになったけれど、それ以前のうまくやれなかった時間を消し去ろうとして、不安になっていた。苦味ばかりの思い出もあってこその今なのだ。複雑で不調和なものたちを楽しめるようになることが大人になることだと思いついてしばらくしてから、そういえば菊池成孔がそんなことを言っていたような気がしてきた。それをメモしたノートを探した。不調和、不安定、不完全を楽しめるのが大人です、と書いてあった。確か、そして芸術もそういう態度のものだと言っていたような気がする。
はじめて歩いた三軒茶屋は、八百屋が安くて品揃えが良く、意外に思った。気取った店しかないものだと思い込んでいた。これから街をふらついて電車に乗って帰るというのに、思わず甘夏とパセリと豆を買ってしまって重たかった。古着屋を覗いて、こういうの作れたらいいなというアイデアをもらった。暑くなるまでに刺繍の入った帽子を作りたい。店先に110円の商品を並べている昭和なリサイクルショップで立ち止まって皿を見ていたら柔和な笑顔をした店主のおばあさんに話しかけられた。物色して3枚皿を買った。新聞で皿を包みながら、広告の鯛のお弁当を見ながら、おいしそうねえとおばあさんが言ったが、あんまり美味しそうではなかった。帰宅して、その皿にカットした甘夏を載せて、パセリと蜂蜜をかけて食べた。甘くて苦かった。そして気まずくて苦味のした思い出について書いてみたけれど、いい文章にならなかったから代わりにこの日記を書いている。
After discovering a batch of negatives that had been left in a thin layer of chemicals for months, Rohn Meijer decided, why not develop them?
To his surprise, the damaged negatives produced stunning images with fascinating coloration.
Damaged Negatives Produce Strangely Beautiful Photos
via Reddit / Wired
Floral Paintings by Fong Qi Wei
Tiny, delicate flower petals assembled into playful shapes and classic paintings.
Tour2022 – 歓喜天 -に向けて
明日からノーベンバーズのツアーが始まる。去年ぶりのツアーだし、東名阪以外の土地に行くのは正直いつぶりか記憶が曖昧だ。
最近よく考えてるんだけど、俺はごく普通に楽しいことや気持ちいいことが大好きな男なんだなということ。改めて気付くのは本当に馬鹿みたいだけど。
思い返してみるとなんか若い頃の自分は苦悩や、孤高や、思想や、理念や、破壊とかさそういうものを信条にしてステージに立っていたことがあって、今思い返すと恥ずかしいしとこもそりゃあるし、ひとりよがりだったかも、、とか思うこともあるけどけど、それでもあの捨て鉢な青年(俺)がしていたことはカッコよかったぜと思う、っていうか当時の俺をちょっと未来の俺が認めてやれなかったら今まで続いてないわけで。だってそれの連続じゃん。表現するって。あとバンドって。
で、今の話に戻る。もう一回言うけど、今の俺は自分に対してこう思う。俺はごく普通に自分にとって楽しいことや自分にとって気持ちいいことが大好きな普通の男なんだって。もうステージに立つことが好きで好きで、メンバー連中と演奏して、むちゃくちゃになって帰るのが欲望。激しいとこはもげるくらいに激しく。甘いところはむせるくらいに甘くやりたい。もう超欲望。それが一番の欲望。あと常に美味しい鰻が食べたい。で次にこう思う。やるからには、みんなに見てほしいって。でもみんなって誰だと思う。みんなってきっとつまり自分じゃない人、でも一緒に演奏してるメンバーは一緒に演奏してるし、スタッフの顔も浮かぶし、友達や、家族や、そういう人の顔も浮かぶけど、俺がステージに立つにあたって、みんな、って思う時はそういう知ってる顔じゃない人のことを思ってると思う。顔も知らないのに俺たちの演奏を楽しみにしてくれてるみんな。俺たちがやることを楽しみにしてくれてるみんな。そのみんなのことを俺をは思う。ツアー前だからより強く思う。みんなにも俺と一緒で生活があって、欲望があって、思いがあって、そのみんなが俺たちを見にその夜は一箇所に集まる。踊ったり、踊らなかったり、喜んだり、喜ばなかったり、心の中で一緒に歌ったり、歌わなかったりする。俺は信じがたい気持ちになる。途方もない気持ちになるよ。それを思うと。なんてことだって。みんながその夜を持ち帰って明日からまたなんか明日を始めるのと同時に俺らもその夜を持ち帰って、また明日から明日を始めるわけじゃん。その夜、その時、俺らは一緒にいて、何か共有したり、しなかったり、勝手に何かを思ったり、思わなかったり、勝手に送ったり、勝手に受け取ったりしてるわけでしょ。ライブってやべーよっていうか、コミニュケーションって最高だよな。やっぱ人間が一番好きだな俺は。すげーから。人間舐めんなよ。ところで自分の人生を変えることになった日のこと覚えてる?俺は覚えてるよ、たしか今まで5回くらいあった。そんで、このツアーを自分にとって6回目くらいのそういう機会にしようと思ってる。別に会場の一体感がどうこうとかそう言う野暮な話じゃないよ、別に誰とも同じ思いじゃなくて全然良い。そもそも同じ思いなんてありえない。ただその夜一箇所にみんなで集まるってことの意味を俺は考え続けたい。昔の俺みたいに一人でそう思い上がるんじゃなくて、メンバーとかスタッフとか、そして、みんなと一緒に、なんらかの良い実感を持てるように、俺は俺のためにやってやってやりまくるよ。ってことでTour2022 – 歓喜天 -で待ち合わせしよう。久しぶりに飲みたいぜ、地酒。
COSPLAY LOVE!: Enchanted princess Nintendo Switch / PC ノベルアドベンチャーゲーム キャラクターデザイン・原画・キャラクター彩色を担当させていただきました。
公式サイト https://confiture.info/cosplaylove/
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